#1
畑先生/ネパール棒灸
との出逢い
Maya棒灸は、私Aikomが畑美奈江先生の
ネパール棒灸施術と出逢ったところから始まります。
運命の出逢い?!
畑先生が指導するネパール棒灸のワークショップに初めて参加したのは鍼灸学校1年生の秋のこと。場所は東京は神田にある「三景(Sankei)」という鍼灸の道具や書籍などを扱うお店です。
鍼に憧れて鍼灸学校に入学したものの、蓋を開けてみれば鍼よりお灸が大好きな自分がいました。
そんな折、学校の廊下の掲示板に貼られた数々のセミナーや講演会の案内に混ざって「ネパール棒灸」の文字が・・・
なんだか目に留まり、妙に惹かれました。参加してみたい衝動に駆られて、すぐに申し込みました。
思えばこれが運命の出逢いだったのかも・・・
ネパール棒灸の衝撃
畑先生のネパール棒灸施術は、初めて出会う心地よさ!
本当に心地よくて温かくて学生の私は衝撃を受けました。
「こんなに誰でも出来て、気持ちいいお灸があるなんて・・・!しかも服の上から!!私これすごく好きだ!!!」
畑先生の棒灸セミナーはとにかく実践型で、私のような学生でもちゃんと学んで身につけられる内容。
既に鍼灸師として活躍中の方や鍼灸学校の先生もいれば、学生もいて、立場は関係なくパートナーを組んでお互いに施灸しました。
畑先生の容赦のない(笑)はっきりした物言いと、会場の三景(東京・神田)の店長のフレンドリーでざっくばらんなキャラも相まり、和気あいあいとしたワークショップ。
気付けばブラッシュアップを兼ねて何回も参加し、畑先生主催のHC(ヘルスキャンプinネパール)のラスト回にも参加し、畑先生のご紹介で三景でアルバイトすることになったから出逢いって面白いですね。
アシスタント業務の始まり
三景で働くようになって、畑先生のワークショップのアシスタントや企画準備をするように。
ある時など開始時刻になっても畑先生が遅れて到着せず、その間、急遽私が講師を務めることに。
開催側としてはしては店長と2人で本当に冷や汗モノでしたが、お役に立てるようになったことが嬉しくもありました。
「ちょっとやって」と頼まれて、師匠である畑先生に棒灸施術をする場面も・・・緊張しましたが細かいダメ出しをしていただける貴重な機会でした。
最終的には「愛ちゃん上手になったね。教えても良し!」とお免状をいただいた時は心から嬉しかったなあ〜。
ネパールと日本を長く往き来しながらセミナーをされていた畑先生ですが、ご高齢ということもあり、現在はされていません。
まや棒灸セミナーでは・・・
まや棒灸セミナーでは、畑先生が教えてみえたことをより丁寧にわかりやすくして、かつ解剖学などの専門的な観点も取り入れて、東洋医学と現代鍼灸のどちらからもアプローチできるように工夫しています。
基本になる姿勢や圧のかけ方に、じっくりしっかりたっぷり時間をかけています。
使い方をはじめ、道具について、経穴について、解剖学的な意義についてなどテキストも用意しています。
私が初めてのワークショップに参加したあの日・・・
「こんなに気持ちいいお灸の仕方があるんだ!!」
と感激したあの気持ち、感動を、私もたくさん伝えていきたいなあ。
#2
ネパールとの出逢い
畑先生が主催するネパールでの鍼灸ボランティアに
参加できたことで、世界への扉が開き、
Maya棒灸への見えない道がはじまりました。
「畑先生の生きている世界が知りたい!」
畑先生と出逢ってネパール棒灸に魅了され、「畑先生の暮らす世界を知りたい、観ている世界を自分も観てみたい!感じたい!」と思うようになりました。1度ハマるととことんタイプかもしれません(笑)。
そんな折、畑先生が主催されているH.C(ヘルスキャンプ)という、ネパール地方都市での鍼灸ボランティアの開催を知ります。
2015年にネパール地震があるまでは大体毎年1回のペースで行われていたというH.C、今回が最後になるとのこと。
「参加したい!!!」
金銭的なこと、子ども達のこと、猫のことなどいくつかの問題はありましたが、家族の理解と協力により、参加出来ることに。
畑先生との出逢いと同じように、やっぱりこの時の経験がなければMaya棒灸を作ることはなかったから、タイミングやご縁というのは、本当にあって、そして大切だなと思います。
それまで海外渡航経験はほぼ皆無。
そんな私が自らサイトで航空券を買い、現地に前入りするための手配をし、旅の準備に事前研修・・・少し前までは考えられないことでした。ただただ情熱だけ。我ながらビックリです。
「鍼灸施術の経験がまだ浅い自分に何ができるだろう?」
そう一生懸命考えて行き着いたのは、言葉とコミュニケーションを大切にしよう、ということでした。
ネパ先生との再会
そこで、ネパール語をもっとしっかり学ぶために、事前研修とは別に、高校の時の恩師に20年以上ぶりに連絡を取り、個人的にネパール語講座をお願いしました。
その恩師は若かりし頃、JICAの青年海外協力隊員として、トゥルシプールというネパールの西の方にある街の学校に算数を教えに行っていた方でした。それで高校生の頃は「ネパ」とか「ネパ先生」と呼ばれていました(笑)
この時は知る由もありませんでしたが、ネパ先生と数十年ぶりに再開したことが、また次の展開に続くことになります。
Health Camp in Lumbini
H.Cが開催されたのは8月上旬のルンビニ。お釈迦様がお生まれになった場所です。
実は暑さと湿度が最も高い季節。
体調を考慮して朝から昼までの時間帯でのH.Cでした。
聞いてはいましたが、着ていた施術着を絞ると滴るくらい汗をかきました。
本当に笑っちゃうくらい蒸し暑い!!
湿度計は70%を超えていたように思います。
皆、水分をしっかりと補給しながら、大きな扇風機も数台用意されていましたが、停電が度々起こるので都度停まってしまうので自然の風が頼りでした。
学校の一角を借りて、木製のベッドと床に簡単にマットを敷いた中での施術。現地ネパールの鍼灸師の皆さんも加わって総勢20名ほどのスタッフ。その他に現地の看護学生の手助けがあり通訳や手助けをしてくれて心強かったです。
会場には日本語・英語・ネパール語が飛び交っていました。
そこに畑先生の怒号が(笑)さらに加わって・・・本当に賑やかでした。
毎朝ホテルからバスで会場に着くと、鍼灸施術を受けたい人々が既に長蛇の列を作っていました。中には数時間かけて歩いて来たという人も少なからずいたようです。その列を見る度に、仲間や先輩と「今日も頑張ろう!」とお互いに声をかけあっていました。
このH.Cでは1人につき10〜15分程度で施術を終えるようにと言い渡されていました。
後から後から人々が絶えないので、その程度で終えないと全員終わらないからです。
でも受けに来る人はこの機会にと、「あそこもここも・・・」と次々と訴えてきます。そんな時畑先生は「今ここに来ているのはあなただけではありません、たくさんの人が待っています。だからひとつだけにしてください」とビシッと断っていました。私たちにもそう言いなさいとおっしゃいました。それが印象的でした。
午前中の施術を終えて、バスに乗り込みホテルに着くと昼食後にその日の報告や反省点などミーティング。
お洗濯ももちろん欠かさずに。
午後は皆で観光に出かけます。色々いきましたよ。
インドとの国境近くなのでインドの雰囲気が濃い地域もありました。インド人とネパール人は互いにビザやパスポートなしで国境を往き来出来るそうです。
さて、H.Cに戻りましょう。
当時のネパールではリハビリという概念がまだまだ薄く(今も十分とは言えないし地方では薄いかもしれません)、脳梗塞などで麻痺障害の残る人は、本人も家族も動かない腕はそのままだと諦めているような状況がほとんどのようでした。
それが、H.Cに来て鍼灸施術を受け、簡単なストレッチの指導を受けることで動くようになる。
腕を動かせるようになったり、歩けるようになったり。それは大変な驚きと喜びで、感謝と共に帰る人も何人かいました。
担当はベテランの鍼灸師でしたが、会場の皆で感激したのを覚えています。
H.Cの課題。
このような素晴らしい側面と、一方で課題も。
この年はルンビニでしたが、毎回違う会場に短期間のみ滞在し、一度限りの施術をして帰るというスタイル、ただただ人数をこなすやり方に疑問の声もありました。
きちんとフィードバックが得られないことは、自分の施術による変化もわからないし、反省もできない。それは無責任ではないかと。
衛生面でも決して万全とは言えず、日本ではあり得ない(やらない)ような光景もあり、それが日本の鍼灸の本当の姿と思われても困るし、たとえボランティアとはいえネパールの人々に失礼ではないかという指摘もありました。
このヘルスキャンプでの経験は、良いこともそうでないことも全てが私に大変な印象を与えましたし、その後の鍼灸ボランティアのあり方やボランティアそのものに対する考え方にも大きな影響をもたらすことになります。
愛= Maya = माया、になった!
そして、未だにネパール語はカタコトの「カ」程度の私ですが、文字の読み書きや発音から学べたことは本当に良かったです。
胸に付ける名札にネパール語で自分の名前を書いて自己紹介に使いました。
愛=माया=maya=マヤ。
माया(maya)はネパール語で「愛」とか「愛する」という意味を持つ言葉です。
Aiと言うよりもmayaの方がネパールの人には馴染みがあり意味もわかって覚えてもらいやすいようでした。この時から私のネパリネームは「Maya」に。あちらに行くと皆さんに「マヤさん」と呼ばれます。最近は自分でもどっちが本当の名前か、わからなくなっています(笑)。
因みにMaya棒灸のMayaでもありますが、これは「愛がたくさんのお灸と施術で、世界を笑顔と愛を満たそう」という気持ちで付けました。